結びの位置

神道で、結びは重要な概念である。神道の祭祀は元々個人のものではなく、団体のものであったと言われる。氏族の祭りは古かったし、村落が近所の自然を拝む祭祀も重要だったようである。この団体を形成させるのは、人の間の結びである。そのため、惟神の道で結びは重要であるのは間違いないが、どのような位置を占めるかについて、今回論じたいと思う。

産霊は基本的に個人の様子を表すが、結びは必ず二人以上のことになる。一人での結びはそもそもできないからである。結びを重視すれば、仏教のように出家を称讃することはできない。というより、仏教の基礎理念はこの世との縁を切って、悟りに進むことであると言われるが、結びを重視する惟神の道はその反対である。惟神の道を歩めば、この世と深く絡み合うのは理想である。

結びと言うのは、自分と別の人の繋がりを意味する。甲さんと乙さんの間に結びがあると、具体的にどうなるのだろうか。甲さんが乙さんの利益や状況を当然考えて、それに対する感情も持つので、甲さんの判断に乙さんのことがいつも関わると言うことである。共同体に似ているが、それは共同体も惟神の道で重要である理由である。しかし、共同体の場合、お互いに思い合わないと、共同体にならないが、結びは一方的であっても構わない。顕著な例は親と新生児の関係だろう。親から新生児への結びは強いが、赤ちゃんはまだ親のことを把握することさえできないので、結びはまだない。親の結びは強ければ、赤ちゃんの結びも自然に発展するけれども。もう一つな例は、死者との結びである。死者はもう生存者と結ぶことはできないが、結びを感じて、重視することもある。

このように定義すれば、相手を憎むことも結びになるが、それを認めるのだろうか。これで、認めると言いたいのである。このような結びも重視する。ただし、評価しない。憎みの結びがあれば、それは重要なことであるが、悪影響になるので絶やした方が良い。縁切りの神徳のある神社も存在するが、それはこのような結びを解けるためであるのではないか。

では、いい結びをどう識別するのだろうか。ここで産霊を基本としたい。結びの前提は個人の存在であるので、個人の基準を結びで準用することも当然であろう。それで良い結びというのは、相手の産霊を養う結びであると言えよう。お互いに結ばれたら、支え合う状態になるが、一方的であれば相手を支えることで終わる。これで良いのだ。結びがある場合、相手は自分のためにどう利益になるかと考えるべきではない。自分が相手にどう貢献できるかと考えることである。

しかし、本当の良い結びであれば、このような説教は一切不要である。自然に相手のことを考える。

そして、結びがあれば、その人の間にさらに産霊が沸いていく可能性が醸される。お互いの結びは単に双方の一方的な結びの隣合わせではないのだ。二人がいるからこそできること、沸いて行ける産霊がある。詳細は場合によって異なるが、この個人を超える産霊も重視したいと思う。

このような結びは複数な形を取ることはできるが、その形にはそれぞれの本質があるので、個別に論じなければならない。これで、骨太の枠組みを組んだので、これからその個別論に入りたいと思う。

2 コメント

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  • >相手を憎むことも結びになるが、それを認めるのだろうか。これで、認めると言いたいのである。
    人を呪わば穴二つは本当なのだろうか。

    受験級を決める際、小中高の学年別に分けられているのではなく、問題で決めるのか。
    御息女は今何級を受けていますか?

    • >相手を憎むことも結びになるが、それを認めるのだろうか。これで、認めると言いたいのである。
      人を呪わば穴二つは本当なのだろうか。

      その傾向は強いです。忠臣蔵でも、結局皆が死にます。

      御息女は今何級を受けていますか?

      次回は5級の予定です。いよいよ先取りになっています。

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