ここで、市民の利益に帰さない研究に国費からの助成金を与えるべきではないと論じている。これを聞けば、基礎研究からお金をとって、開発に注入すべきであると解釈する人もいるだろう。そうする行政は少なくないし、筋が通りそうな理論である。
しかし、私はそう言わない。なぜなら、研究の構成を理解するからである。
基礎研究を行わなければ、研究開発の可能性は非常に限られている。コロナ禍でそれが証明された。ワクチンを開発するために、まずウィウルスの遺伝子を読み取る必要があった。そして、ウィルスの一般的な理解に基づいて、重要なタンパク質を特定しなければならなかった。それができたら、相当するmRNAを用意して、ワクチンに組み込んだ。この過程が辿れたのは、ウィルスや遺伝子の基礎研究があったからこそである。基礎研究があったから、何を調べたらウィルスを特定できるか、そしてどのように免疫を起こせるか、そしてその免疫を起こすための物質をどうやって作れるかは、分かった。基礎研究を適応して、ワクチンを開発しました。
だから、基礎研究を支援すべきである。市民の可能性を広げるために時間がかかるが、そうしないと永遠に限られる可能性を黙認してしまう。
助成金には制限は無かったら、自由に基礎研究に撒いても構わない。いつか利益になると思えるので、無駄遣いではない。しかし、実際に財源には制限がある。だから、基礎研究を見極めなければならない。
市民の利益になりそうな基礎研究も得た成果の開発も同時並行で進めなければならないので、助成金の支給先を選別しなくてはならない。
これで、「市民に貢献しそうな分野」に出すべきだと思う。確かに完璧に判別できないが、それは人間の活動の付き物である。誤ることはあるが、その誤りを最低限に抑えるのは行政の義務の一つである。
だから、医学の基礎研究や生物学の基礎研究は、人間の生命を助ける結果とつながる可能性はかなり高いので、支援しても良かろう。同じように、天候の基礎研究で生活に大きな影響を与える現象の理解が良くなるはずだから、利益に繋がるのではないか。一方、天文学の成果は、多くの場合利益と繋がらない。火星の性質が分かっても、市民の生活と関係はない。例外は、もしかして地球に近づく小惑星の研究だろう。小惑星が地球とぶつかったら大きな被害になるし、事前に分かったら対策を取れる状態になっているので、調べた方がいいのではないかとも言える。
このような判断は難しいが、税金を使う場合、利益がより近い分野を選ぶべきなのではないかと思ってきた。科学以外の研究も同じである。例えば、歴史学や文学の研究成果で市民の可能性が広げるかと言えば、しないだろう。
一方、そのような研究自体はいいことだ。だから、行政は研究を行う可能性にも配慮しなければならないと思う。次回、この点について論じたい。