人間の尊厳

倫理の基本は、他人を制御しないことだ。

しかし、倫理の基盤は複数ある。これからの数投稿で、その基盤からそれぞれの論証を行う。まずは、人間の尊厳の基盤から考えよう。

この論証は難しくない。

人間の尊厳を尊重するために、全ての人間が同じような尊厳を持つと考えなければならない。しかし、そう考えたら、自分の倫理観を押し付けることはできない。人は誤っているかもしれない。それでも、人間としての格式は同じだ。人は誤っても、正しい考え方を押し付ける資格は自分にはない。人間として、二人とも同格だから、双方にも押し付ける権利はない。説得するように努力しても良い。第三者が制御されないように関与しても良い。しかし、誤った本人に正しい考え方を押し付けるのは別だ。

何かを押し付けるために、上の立場は必要だ。その立場はなければ、押し付けてはいけない。しかし、人間は全て尊厳で平等だ。正しいことがわかっても、誰も押し付ける立場にはいない。

人間の尊厳を重視する人は、このような論理を一応受け入れると思う。ただし、引っ掛かる点があるだろう。ある人が人間の尊厳を損ねる言動を行なっていれば、許しても良いのだろうか。許せば、人間の尊厳を軽視しているのではないか。確かにその行為で尊厳に傷をつけるのは自分ではないが、傷付いているのはまだ事実だ。だから、人間の尊厳を尊重するために、動くべきだろう。

この考え方には正しい側面もあり、危険な誤りもあると私は思う。

正しい側面は上記にも触れた。第三者を制御する行動を阻止すべきだ。しかし、それ以外の人間の尊厳を損ねる言動を許すべきだ。許さない行動こそは人間の尊厳を尊重しないからだ。

人間の尊厳の中枢は自分の判断や意志で生きることだ。生物学的な機能は別である。その意志の根本的な指針を選ぶのは、意志の駆使の中で極めて重要である。他人を制御しない行為を「人間の尊厳に違反する」ことを理由として制御しようとすれば、その根本的な判断の権利を奪う。

まず、「人間の尊厳」の本質について意見が違う可能性がある。その概念が違うと、尊厳を尊重する行為も当然違ってくる。人が尊厳を尊重しようとしている行為を阻止するのは明らかに良くないだろう。自分は違う方法がいいと思ったら、説得するように努力すべきだ。

そして、「人間の尊厳」は倫理の基盤ではないと思う人も少なくない。そう思うと、別な要素を尊厳より優先する。これも当然だろう。幸福を倫理の基盤としたら、尊厳を損ねることで幸福を増すことはできたら、そうする義務を感じるはずだ。

だから、尊厳を損ねる行為を阻止することは、倫理の選択を尊重しないことである。繰り返しになるが、倫理を選択する権利を奪うことは、人間を蔑視することだ。

つまり、倫理の基本は他人を制御しない。

これは一番簡単な理論だと思う。続きの投稿で、もう少し難しい倫理基盤を論じたいと思う。

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