財政

財政

先週の参議院選挙で消費税減税や廃止などが取り上げられていた。他の増税は不要で、ただ国債で賄うことでいいと主張した政党もいた。その甘い話は理に敵わないと何となく思う人は少なくないだろう。そう簡単にできるはずはない、と。

私もそう思うが、赤字はダメだという単純な話ではない。

まずは、「お金」は国家の財政とそもそも関係しない。それは、国家はお金を作ることはできるからだ。同じように、「法律」は国家を長く縛らない。法律を変えることはできるからだ。一般住民は、法律に従わないと大変なことになるが、国家は法律を変えて、予定通り進むことができる。同じように、一般住民のお金がなくなると、大変だが、国のお金がなくなると、さらにお金を作ることはもできる。

もちろん、日常的な取引で行政はお金を使うし、手元のお金がなくなるとすぐに作ることはできない。法律も同じだ。現行の法律に従わなければならないし、その場で改正することはできない。だが、戦略を考えれば、拘束力はない。

法律はともかく、お金の問題を考えよう。

国の税収と支出で、国内の活動で何を抑えるか、何を促すかと決める。税金を取れば、抑える。支出すれば、促す。しかし、国でも自分勝手にできるわけではない。大きな枠は国内総生産だ。中長期的に増やすことはできるが、一年間の予算を考えれば、その総生産は決まった量に近いのだ。年毎に行政が指導する割合を決めることだ。そして、より細かい枠は、国で何をどれほど生産できるかという枠もある。例えば、国が急に国民一人ひとりに輪島塗のお椀を一つずつ与えようとしても(復興のため!)、できない。予算をいかに割いてもそうだ。職人は足りないし、材料も足りない。一億個を作ることはすぐにできないのは当然だろう。

国家は考えるべき枠はこれだ。

では、税収と国債の話に戻ろう。これは総生産の枠と関わると思う。個別の生産は、財源を問わずに同じ問題になるからだ。

予算を税収で賄えば、どういうことになるだろう?生産の一部を一つの用途から別な用途へ移すことだ。住民の努力で得た富をとって、政府の目的に充てる。これは住民から奪うことではない。生活保護でも、その人の消費に回すので、国内の経済で動く。例外は、海外で持った国債の返済に充てられるお金だ。それは流れ出る。(輸入のために、例えばアメリカから武器を買うために使われるお金は、物を国内に取り込むので、海外生産の一部を日本で使われるようにする。)

問題は、税率は高過ぎたら、行政が潤わない経済の分野が低迷することだ。その中に重要な分野が含まれるのはほぼ確実だから、問題が発生する。

一方、お金を作ることで、つまり国債を発行することで、賄えばどうだろう。その場合、結局やはり生産の一部の用途を変えることになる。しかし、お金の量が増すので、経済の他の分野から物を買おうとする人にはお金はある。だが、生産が減る。国が生産の用途を変えたからだ。だから物が少なくなり、充てられるお金の量が変わらないので、インフレになる。行政の事業を進めるために政府がさらにお金を作れば、インフレに拍車をかける。お金は作れるが、問題を解決するために新しいお金を出す必要が発生する。その場合、貯金や年金の価値がゼロに近づく。社会の混乱を招く。

このように考えれば、国債の発行は、生産を増やす用途に限るべきだろう。そうすれば、モノも増えるので、値段が安定する。他方、税金を抑えたい行動や状態に課すべきだ。

簡潔な分析だが、こう考えれば消費税を廃止することは相応しい。市場経済で消費一般を抑えたいはずはない。一方、国債で賄うべきではない。消費税の廃止は生産増と直接的に繋がらないからだ。むしろ、このような国債の利用は、インフレと直結するのではないか。

だから、慎重に考えるべきことだが、財政赤字は敵であるわけではない。

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