日本の少子化は叫ばれて久しい。この問題は何も日本に限られている危機ではないが、日本は多くの国より進んでいる。令和6年生まれの子供は69万人弱だったそうだ。100年の人生の時代に本当に入ったら、少子化がこの段階でストップしても、100年で日本の人口がほぼ半減する。1億2千万人から7千万人に減るからだ。しかし、自然に考えれば、子供の数が減り続けるのではないかと思うしかない。なぜなら、2000年に生まれたのは120万人程度だったからだ。この人は今の親になる世代と言えよう。25年後、親になる世代は今年生まれの69万人に代表される。つまり、今と比べたら親になる人数は現代の半分ぐらいになる見込みだから、簡単に考えれば、赤子の人数も半減するだろう。多めに見れば、40万人程度まで減るのではないか。簡単な計算で2150年には、日本の人口は4千万人で現代の三分の一になるが、同じような論理が続く。
この傾向に抵抗しなければ、日本はもちろん、人類絶滅が迫る。生まれた子供の人数の減少に歯止めをかけなければならない。
しかし、有効な対策は見つかっていない。悪政を極まって強制的に産ませようとしても、効果は薄い。福祉を手厚くしても、効果は同じく薄めだ。
基本的に、子供が欲しくない人は子供を作らない。現代の20代、30代の人は、子供が欲しくないようだ。
経済的な側面もある。分娩の費用から教育費まで、子供は経済的な負担になっている。育児にも手間がかかるし、出世の邪魔にもなる。このような問題の緩和策を散見するが、必要であるとしても(育児は無理であれば、妊娠を避ける人は多いからだ)、根本的な解決にはなっていないし、なるはずはない。
避妊は可能な現代で、出産育児の無理を払拭しても、積極的に子供が欲しいと考えない限り、子供を産みません。そのため、二つの要素が必要となるのではないか。一つは未来の希望だ。未来について絶望的であれば、それを子供に担わせたくならないだろう。もう一つは子供の価値を見ることだ。
「子宝」とは言われても、最近子供を宝というより重荷であると思われるのではないか。その態度を変えないと、出生数の改善は期待できないだろう。
しかし、社会の態度を変えるのは簡単ではない。可能性は歴史に保証されているが、変化の大きさに合う混乱に伴うこともよく見られる。
育児自体に価値を見出す必要がある。そして、その価値は出世や生産より高い価値でなければ社会で負けてしまう。企業の支配や総生産の崇拝を打破しないと、達成できないと思わざるを得ない。「総生産を減らす政策を導入する」と堂々と言える政治家はいるのか。
幸い、子育てには親の個人的な利益の観点からも十分価値がある。子供と過ごす時間は貴重で楽しいし、成長した子供との築いた関係が強い達成感を齎す。しかし、その価値を実感するために、自分で子供と時間を過ごさなければならない。保育等をもっぱら推進すれば、まるで子供と時間を過ごさない方がいいかのように見せてしまう。
子育て、つまり子供と一緒の時間を人生の最高の体験の一つとして見せる必要があるし、それを事実としなければならないと確信している。
しかし、その実現方法はすぐに見当たらない。