チャート 出意人

宮曼荼羅

最近、十年前に東京国立博物館で開催された「国宝・大神社展」図録を読み返しました。当時、来館して実物を見たが、それはすでに十年前であるのはちょっと信じ難いのだ。 図録で気になったのは、宮曼荼羅という絵画種である。神仏集合の時代に隆盛だったが、仏教の曼荼羅と大きく違った。(当時、「曼荼羅」と呼ばれたかどうかさえ私はわからない。後日、学者につけられた名称であるかも知れない。)宮曼荼羅というのは、神社の風景を描写する絵画である。写実的な絵ではないが、現実に基づく。...

石炭の火力発電所の問題

石炭を使う火力発電所が大量な二酸化炭素を排出するのは周知の通りだ。それで気候変動が起こり、海水面が上昇することもよく知られている。その結果、太平洋の小さな島国が近い将来に完全になくなる。島が沈没するからだ。SFではなく、現実だ。 では、ある施設が直接的に国の全滅を脅かして、今現在その過程を進めたら、どうすれば良いのか。最近の変更だが、敵地の基地を破壊する能力は、日本の平和憲法のもとで持ってもいいとの解釈が日本政府に認められている。そして、国に脅威があれば、その脅威を退くために行使しても良いとも解釈している。...

義務教育の内容

周知の通り、「義務教育」の義務は、児童・生徒の受ける義務ではなく、社会の提供する義務を指す。そして、義務を果たすために、子どもに役立つ教育を提供する必要があるのではないだろうか。古代バビロニアの言語と石器の作り方を教えても、「義務教育」に値するとは言えないだろう。(面白そうだけど。)現代を生きる子供達の人生に役に立ちそうな内容でなければならない。 しかし、そのような内容は何だろう。 最近、人工知能の上達は飛躍的だが、それで露わになったのは、近い将来でも予測できないことである。将来の職業のために直接的に教えることは最早できない。児童が大人になる前に、想定した職業がなくなる可能性もあるし、根本的に変質する確率も高いからだ。 だから、教えるべき内容は、激変する状況に対応する技能なのではないか。簡単に考えれば、下記のようなことになろう。...

身を切る改革

「身を切る改革」を訴える政治家や政党は少なくない。多くの場合、それは議員数の減少と議員の収入の削減を意味する。 まずは、議員数の減少は身を切る改革ではない。むしろ、数が少ければ少ないほど、一人の議員の影響力が増す。そして、議員の数は少ないので、政党の執行部の管理が行き届く。つまり、これは政治家の個人的な力を増やすための方策であり、「改革」ではない。 議員の収入の削減は違うと思われるだろう。収入が減れば、議員が何かの損失を感じるのではないか、と。しかし、このような改革をやり過ぎたら、政治家に成れるのは、富裕層に限る。富裕層ではなければ、生きるための収入はないからだ。その上、富裕層であれば、議員の収入はそもそも大したものではないので、削減しても構わないという態度だろう。 だから、別な方向から「身を切る」べきだと私は思う。...

地方住民

日本では、地方の過疎化は深刻な問題である。解決するために多面的な方針が必要であるのは明らかだが、移民政策と連携して一助になるのではないかと私は思います。 新しいビザと在留資格の案である。基本条件は、過疎自治体に住まいを持つことだ。住民票の登録はもちろん、実質的な住まいも条件になる。それで、まず1年間の在留資格を取得して、過疎地域に住み続けば5年間に何回でも更新できる設定がよかろう。 もちろん、この条件だけは不十分だ。...

三次元の倫理

正義に基づいて明白な行動の基準を得られなければ、どうすれば良いのだろう。行動をその瞬間の勘によって決めても、基準を設けたので、基準なしにはできない。そして、基準は何にしても、間違える恐れがある。それはどうせ正義には限られない問題である。その瞬間の勘でも、間違えることはある。 その解決策として、三つの基準を同時に利用する案を掲げる。 その基準は自由、慈愛、持続である。併せて、三次元の倫理と名付けよう。 自由は、すべての人が自分の行動や人生を自分で決める状況を指す。人の行動を拘束せず、制限せず、抑制せず振る舞って、幅広い選択肢から選べさせるように努める方針である。 慈愛は、人の幸福を願って、実現しようとする行動を指す。 持続は、永遠の将来までこのような行動や社会が続けるように今現在の行動を慎む方針だ。...

疑う正義

ユダヤ人を虐殺するのが正義に適わないことは、今になって誰も疑わないだろう。しかし、そう思った人はナチスドイツに限らず、ヨーロッパの歴史には多数いた。中世や近世に、ユダヤ人が(1000年以上前に)キリストを殺したので、当時のユダヤ人を殺したり弾圧したりすることは正義だと主張した人は少なくなかった。その上、出鱈目な中傷に基づいて、反ユダヤ意識を煽った。それは悪極まりないだった。 私たちはそののような誤りを犯していないと確信するだろう。 だが、なぜ確信できるのか。...

誤った正義

正義の指導が間違った方向に導く理由としてすぐに思い浮かぶのは、正義を見誤った状態だろう。つまり、正義であると思う理念は実は正義ではない状況だ。 些細な場合もある。例えば、ボランティア活動で社会に貢献することは正義に適うのを正しく判明したとしよう。そして、現実的な選択肢は災害の被災地での活動と近所の貧困の子供の支援活動だとしよう。いずれも貢献できるし、社会にいい影響を与えます。しかし、正義に適うために、子供支援をすべきだ。それでも、考えた上で、誤って被災地での活動を選ぶ。 確かに正義を見誤ったが、このような問題について心配すべきではない。人間はこのように間違えることもあるのは決まっている。このような誤りを悪徳の行為として批判する立場もあるが、正義の概念でこのような誤りが問題になったら、それは概念の問題であると私は思う。...

正義の魅力

正義を求める人は多い。正義を憧れる人も多い。正義の味方になりたい人も多いだろう。しかし、私は正義の魅力は幻であると思う。 そう思う理由を説明する前に、正義の魅力を具体的に描かなければならない。 この問題は難しくないと感じる人は少なくなかろう。言葉の漢字で明白であると思われるだろう。「正」と「義」だから、魅力的だろう、と。しかし、このような答えで物足りない。なぜ「正」と「義」に魅力があるのかという質問が残るし、まだ答えを待っているように感じる。「美」も同じだ。確かに美は魅力的ではなかったら、美ではないが、その魅力はどこにあるかという質問が残る。...

刑罰の不平等

刑罰の不平等の是正に関しては、根本的な問題がある。 原則として、刑罰の対象となる行為は社会の福祉に悪影響を与える行為に限られる。対象の行為を勝手に増やしたり減らしたりしてはいけない。そして、刑罰を受ける人は、その行為を犯した人に限られる。これも、勝手に増やしたり減らしたりしてはいけない。つまり、不平等を是正しようとしたら、それは刑事裁判等には深刻な問題があることを前提とする。起訴したり有罪判決を下したりする行為に差別があるか、刑法には誤りがあるか、ということだ。これほど深い問題があるとは認めたくないだろう。 しかし、男女平等を理念としたら、そう考えなければならない。男女は平等であれば、刑事司法制度には問題は無い限り、受刑者数には格差は発生しないからだ。...

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