刑罰の不平等

刑罰の不平等の是正に関しては、根本的な問題がある。

原則として、刑罰の対象となる行為は社会の福祉に悪影響を与える行為に限られる。対象の行為を勝手に増やしたり減らしたりしてはいけない。そして、刑罰を受ける人は、その行為を犯した人に限られる。これも、勝手に増やしたり減らしたりしてはいけない。つまり、不平等を是正しようとしたら、それは刑事裁判等には深刻な問題があることを前提とする。起訴したり有罪判決を下したりする行為に差別があるか、刑法には誤りがあるか、ということだ。これほど深い問題があるとは認めたくないだろう。

しかし、男女平等を理念としたら、そう考えなければならない。男女は平等であれば、刑事司法制度には問題は無い限り、受刑者数には格差は発生しないからだ。

一つの可能性は、裁判が女性に無罪判決を下す傾向があることだ。それは調べることはできる。(私は情報をすぐに見つけられないけれども。)その傾向があれば、容疑者の性別を隠蔽することはできる。採用問題などを考えれば、これで完全に解決できるとは思えないが、改善になるだろう。

そして、犯罪には著しい不平等があるかどうかを調べることはできる。平成30年には、法務省の白書によると、強制わいせつ行為の被害者の5809件の中で、男性は被害者だったのは200件だそうだ。男女は平等であれば、5000件以上の男性被害者が見逃されたはずだ。だから、摘発に務めるべきだろう。認識の是正も必要かもしれないし、男性の被害者に告発するように促す方針も必要だろう。他の犯罪で、すぐに男女別の情報が見つからないので、どこにこのような行為が必要になるかは言えないが、同じようなことができる。(受刑者の割合の偏りはものすごくひどいので、もしかして全ての犯罪で女性犯人を入念して取り調べる必要がある。)

それは女性に対して悪いことではないはずだ。犯罪を犯していなければ、問題にならない。冤罪の可能性は確かにあるが、男性も同じだ。実は、現在の統計を見たら、男性の冤罪のリスクの方が高い。冤罪を防ぐように制度を改善しながら進むべきだろうが、女性犯罪者を探す方針以外は、男性の犯人をわざと見逃すことしかない。それは許せる行為であれば、現行の刑事司法には大きな問題がある。見逃してもいい犯罪のために人を逮捕したり刑罰したりしてはいけないだろう。

男女の行動には安定した違いがあっても、この問題はまだある。(行動に安定した違いはないことは男女平等の大前提だが、そうではない場合も考えなければならない。)つまり、何の行為を犯罪と定義することによって、男女の犯罪率が変わる。例えば、既存の思い込みの通り、男性は暴力を振るう傾向があるが、女性は悪口をする傾向があるとしよう。その場合、現行の刑法で、男性の犯罪者の方が多い。暴行は犯罪だが、悪口の大半は犯罪ではない。

その場合、男女平等の観点から、法律を改善しなければならない。例えば、微傷を与える暴力を表現の一種としてみなして、合法とする。つまり、病院への搬送は不要かぎり、犯罪ではないとする。そうすれば、この仮説のもとで男性の犯罪者の数が減るだろう。暴行が減らないが、犯罪に当たる暴行の定義が狭まる。一方、悪口の犯罪範囲を広げることも考えられる。悪口で深い傷を受ける人もいるし、自殺に至るケースもあるので、犯罪として認めても根本的な矛盾はない。「表現の自由」を盾としても、まあ、上記の通り暴行も表現の一種として考えられるので、暴行を許す方向に導くだろうが、平等とする方針には変わりはない。

刑法の構造には不当な差別が具現化されたことは十分あり得る。別な側面だが、富裕層の行動が犯罪になることは少ないが、貧乏で生活に困っている人の行動が犯罪になることは多い。それは、法律の目的は元々少数派の富裕層を多数派の貧困層から守ることだった事実から発生したと論じる人もいる。同じように男性を不利にする構造がある可能性を無視してはいけない。

この格差を是正するために、社会の理想像を深く考え直さなければならないが、大きな改善にはそのようなことがある。躊躇う理由ではない。

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