カテゴリー政治理念

流れの調整

世の中、人生の戦略を積極的に決めない人もいる。そのような人が社会の流れに乗って、流されるままにする。安心できる社会を構築するために、流れで満足できる人生に漂着するように工夫しなければならない。 人生の戦略を決めるのは容易ではない。いつでもできない人は多いし、そうできない若者は特に多いと思われる。だからこそ小中高の学校がある。子供がその流れに乗って卒業まで流される。それからも、流れで人生を講ずることができる制度は良いと私は思う。 実は、日本にはそのような制度があったのは大昔ではないそうだ。90年代まで高校を卒業したら、高校の先生が就職先の会社を探して、就職させることは多かったようだ。そして、会社に入ったら、定年まで働くと社会的な地位や収入を確保したという。独特な人生を思い描いて実現する必要はなかった。...

やり直す機会

安全網の基本は、やり直す機会であると私は思う。 人間は失敗する存在だ。失敗を完全に避けることはできないし、一人の人間の人生に複数の失敗があるのはほぼ確実である。だから、安心するために、「今回失敗しても、次回また頑張れる」という意識は必要だ。 そのため、社会はなるべくやり直す機会を提供すべきであると思っています。もちろん、人間は失敗するだけではなく、死ぬ存在でもあるので、永遠までやり直す機会を与えることはできない。そして、例えばオリンピック・パラリンピックに派遣される機会を与えられる回数は少ないし、してもらえる人も大変限られているので、結局できることには制限がある場合も少なくない。 それでも、できることは多い。...

本物の安心

社会で安心して暮らすというのは、どういうことだろう。 身の安全はもちろん重要である。いつでも襲われる恐れがある状態の中で安心できるはずはない。しかし、それだけでは十分ではない。社会的な地位が常時に不安定であれば、安心できるとは言えない。その反面、好まない社会的な地位を脱却する術はない日常でも、安心できるとは言い難い。 安心の社会というのは、自分の欲しい人生を目指せる社会で、失敗しても壊滅的な結末にならない社会であると私は思う。成功する人が失敗する人より幸せを入手することは多いと思われるが、失敗しても絶望にならないし、平凡な生活を送ることができる状況が保障されている社会なら、誰でも安心になるだろう。自分のことはもちろん、子供等の親戚についての心配もかなり軽減されるのではないか。...

誘惑の制限

国家が他人に影響を与えない誘惑に対して、どう関与すべきだろう。自由主義者の間に、一切関与すべきではないという人は多いが、それに問題がある。まず、子供を守る必要がある。そして、大人になっても、本当の意志に従うかどうか疑う余裕がある。その場合、住民のために国家が関与しても良いのではないかと主張する人もいる。...

誘惑と国家

国家は、どうやって誘惑を扱うべきなのだろう。 意志の尊厳を単純に考えれば、何もしない方が良いと思ってしまうだろう。本人の意志に任せるべきなのではないか、と。本人は誘惑に負けたら、悪い結果が出るのは確かであるが、それは本人の裁量に委ねるべき範囲を超えないので何も関与すべきではないだろう。 この主張の核心は妥当である。国家は、誘惑を選ばせるべきである。確かに、本人の意志の表現の一つである。惟神の道で誘惑を論じた場合、誘惑の通りにするべきなこともあると述べたので、国家が法律で縛ると直ぐに意志の尊厳を侵す。...

難民の受け入れ

難民は命を救うために自分の古里も国も捨てて逃げる。大変難しい問題になる。 先ず、難民本人は被害者である。更に被害をさせるのは残酷である。そして、何かを難民の負担とすることも非常に合理性が欠けている。悪いことをしたのは、難民ではない。しかし、罪を犯した人は、責任を負わないのは明らかである。だからこそ難民が難民になった。加害者の責任を声高に訴えても、難民の助けにはならない。 一方、難民を助けることには、費用や努力は山ほど必要となる。財産の殆どを失った人であるので、衣食住を提供しなければならない。医療も必要となる。特に精神的な被害は多いが、肉体的な被害を受けた人も少なくない。ものだけではなく、専門家も多数必要となる。罪を犯していない人には、この負担を背負う義務はあるのか。 それでも、誰も背負わないと、難民は苦しみながら死んでしまう。それも許せない結末である。...

革命を求める人

或る国を改善するのは、その国の住民であるべき。(余談だが、基本的に「国民」ではなく、「住民」である。国家がある地域を制圧するのに、住民のごく一部の人を国民として認める場合もあるからだ。これも難しい問題なので、ここで詳しく論じない。)だから、外から国を変えようとする人を拒否する権利がある。 それは、植民地などを敷く方法で変えようとする場合、単純な防衛になる。これは極端な例であるが、枠が見えてくるだろう。反帝国主義の風潮は今高まっているが、その基本は外国人が国の将来を左右するべきではない概念である。 しかし、侵略以外の例は難しい。難題になる源は簡単である。国に移住してきた人は、もう住民になっているので、国の改善に参加する権利を得たと言えるからである。...

お金を求める人

移民の考える場合、お金を求める人が真っ先に思い浮かぶだろう。そして、怪しむことも多いようである。しかし、そう考える必要はないと私は思う。 先ず、移住して働く人は、基本的に移住先の国の経済と社会に貢献する。移住するほど働きたい人は、気力は強いに違いない。特に、文化も言語も違う国へ移住する人には、強い意志や忍耐力はない限り、最初からできない。このような性格は、労働力と繋がるのは明らかである。この事実は、研究に裏付けられているようである。移住する人は、生まれた場所で働く人より一生懸命に働く傾向は明白であると言われる。優れなくても、労働力は国に貢献するし、移住先の国以前住んでいた人のためにもなる。...

言語と強制的な移民

自分の意志を問わずに移住させられた人の場合、言語は重要な問題となる。基本的に意志は軽視されたので、もう負担している。それに言語の取得の負担を加算するのは残酷であるとも言える。一方、移住の動機は何であってもある国の共通語ができない状態で問題が発生することは変わらないので、言語を放置するわけにはいかない。...

言語の条件

移民の問題を調べる場合、言語の壁がいつも浮上する。その国の言語はできない場合、情報収集が大変になるし、社会から除外される恐れがあるし、問題が起きたら解決と取り組むのも大変だし、母国からの移民と一緒に閉鎖的な共同体を作ってしまうこともある。だから、原則として移民に国の共通語を身につける義務を課すべきであると私は思う。本人のためにもなるし、社会のためにもなる。 自分の意志で移住する人は、自分の負担で学ぶべきである。自分のお金で学費を払って、自分の努力で勉強すべきである。これで行政の関与は二つある。...

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