色欲の誘惑性は重要な課題であると述べたが、性的な行為の称賛になった投稿もあった。ここで、誘惑性への対応に本格的に戻りたいと思う。
性的な行為には同意は重要であると考えない社会はほとんどない。確かに、場合によって女性との性的な行為の場合、女性の同意ではなく、女性の父親の同意が必要となる社会もあったが、同意を完全に無視する社会はないだろう。最近、本人の同意を重視するのは一般であるし、セクハラの問題などの関係で声高に訴えられている。私も賛同する。本人の同意は重要である。父親の同意はどうでも良い。ここで、同意はなぜ重要であるかについて考えて見たい。
まずは、それほど簡単な問題ではないことを証明する。ある人は衣食住を求めている。しかし、働こうとしない。その場合、「働かないと食べない」と言うのは一般的に認められている。それは本人の同意を軽視する行動である。気にいる職業はなくても、働かせる行動で、働かないと餓死させる。強制的である。しかし、同じように「私と性交しないと食べさせない」と言うのは悪質である。でも、明らかな違いはない。双方は、相手に嫌なことを無理やりさせる。同じように、罰を与えるのは認められているが、性的な罰は現在認められていない。なぜ?本人の意志に違反して嫌なことを無理やりさせるのは罰の本質である。性的な罰がダメになる理由は何?
ここで、その理由を説明する。
何回も述べてきたが、性的な意欲は非常に強い。だから、性的な行為は適切であるかどうかと自分で自分のやりたいことについて判断しようとすれば、許す余裕が少しでもあれば、許す。許す余裕を無理して見いだせれば、許す。相手の長期的な利益になるとか、この場面で適切なことであるとか、もう自分の番であるなどの言い訳をすぐに出す。だから、最低限の制限として、相手の同意を必要とする。二人ともやりたくても必ずしも良いとは言えないだろうが、片方に判断を任せるわけにはいかない。(父親の同意を必要とする社会でも、父親と娘の性交を許さないので、父親が自分の性欲に誘導されないと思われる。)この制限として本人の同意を重視する理由は、産霊の重要性である。産霊は自発的な存在であるので、人間の場合本人の意志も重要である。
性的な罰を禁じる理由は同じだろう。罰を科す側の色欲が働いて、不当な罰を科す恐れがある。そして、実施する側が仕事を楽しみすぎて、過剰な罰を与える恐れがある。勿論、性的な行為の代わりに食べさせる権利を与えたら、それが悪用される可能性は高い。人間の他の意欲はそれほど強くないので、他の分野で強制的な行動を許しても良いし、強制的な行動はないと実際の社会は成り立たないので認めざるを得ない。だから性的な行為が例外かのように見えてくる。
原則として、分野は何であっても他人を強制的に行動させるべきではないが、仕方がない場合もある。しかし、その場で自分の色欲が関わるケースについて判断すれば、自分の色欲に沿って決められるように状況を解釈する可能性は高い。つまり、特定のケースに性的な行為を強いる権利を与えたら、大きな問題は予想できる。だから許さない。誘惑の強さがあるから性的な行為が他の分野と違う。